船岡の町を造った2 つの大きな時代~藩政期から現代へと時の流れを感じるコースです。1 つは船岡城城下町の姿。
もう一つは、昭和の記憶。昭和の戦争の記憶である海軍火薬廠跡と、火薬製造に動員された人々の住宅跡。
そして、水と戦い、水を味方につけた治水、利水の痕跡である用水路の道を歩きます。

【印刷はこちらをご利用ください】柴田フットパスマップ 船岡 二つの時代を巡る道コース(PDF)

① 船岡駅駅トイレ
船岡城を模して建設された駅舎が特徴です。駅前には町の木である樅の木があります。

② 用水路の道居酒屋がある丁字路を過ぎてすぐに左手の路地に入ります。ここはかつての用水路を暗渠化した道で、自然の流れが作り上げた緩やかなカーブが心地よい小径です。柴田にはこのような道が数多くあります。

③ 妙法山 蓮華寺(れんげじ)寺
船岡城の鬼門(北東)の守護の地として重要な位置を占めています。鬼子母神堂、水子観音や七福神の像など見所が多々あります。

④ 豊穣之碑(ほうじょうのひ)白石川流域の船岡の地は低地で、長い年月をかけ水利と水田の整備が進められてきました。ここにはその歴史を刻む顕彰碑が建てられています。桜の大木があり人々が休憩する姿がしばしば見られます。周囲に用水の蓋かけ道が広がるポイントとなっています。

⑤ 仙台大学 開学50年を迎えた私立大学です。第二次世界大戦直前の昭和14 年(1939 年)に仙台大学を含むこの地に第一海軍火薬廠が設置されました。現在のキャンパスは火薬廠の本部跡地に立っており、正門右手のコンクリート壁は火薬廠時代のものが残されています。

⑥ 勤労動員学徒の碑 仙台大学の敷地内、正門から入り壁に沿って右手にまっすぐ進んだ先にあります。火薬廠では多くの工員が火薬製造に携わり、戦争の中期からは近隣の学生も労働力として入廠しました。注意:仙台大学のキャンパスには立ち入らないでください。

⑦ 秋葉神社神社
火伏の神様です。現在は白鳥神社に合祀され、ここには境外社にが置かれています。この辺りも第二次世界大戦中、海軍火薬廠従事者の長屋が建てられていました。注意深く見ると宅地の区画に当時が偲ばれます。神社左手の用水路の小路を進みます。

⑧ 妙高山 大光寺寺
柴田家の菩提寺です。樹齢200年以上の大イチョウ、本堂裏の岩窟には五百羅漢が安置されています。また、山門を出た左側には明治時代に活躍した産婆の及川ます嫗(おう)を顕彰した石碑があります。

⑨ 岩松山 恵林寺(えりんじ) 寺
原田家菩提寺の東陽寺の末寺で、伊達騒動の中心となった原田甲斐を偲んだ供養碑と伝えられる石碑が本堂の裏手にあります。境内には見事な桜があり訪れる人の目を楽しませています。

⑩ 本町通り 藩政時代の商人の館があった通りで、現在でも城下町の雰囲気が色濃く残っています。道路端の用水路は藩政時代は道の中央を流れており、小舟を使って荷物を運んでいました。

【参考資料】