船迫は北の羽山と南の白石川の間の狭隘な地域です。古くから交通の要所として発達し、江戸時代には奥州街道の起点、江戸日本橋から数えて63番目の船迫宿として栄えました。コースの中には古墳時代の大規模墓群や平安時代創建の寺社、藩政期時代の町割りなどを巡ることができます。また、大正期に河川改修されるまで北に大きく蛇行していた白石川の川筋の痕跡が用水路や空間として残っていて、街道と川筋という2つの道筋をたどる面白さがあります。

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① 船岡駅駅トイレ
船岡城を模して建てられた駅舎が特徴です。駅前には町の木である樅の木があります。改札を出て跨線橋を渡った北側出口からスタートします。

② 熊野神社神社
延喜元年(901 年)に勧請されたと伝えられています。西の丘上にある大光院と隣接しており、当社と深い関係にあったと推測されます。境内にあるウラジロカシは柴田町の古木・名木に選ばれています。

③ 松光山 神宮寺 大光院寺
天安2年(858 年)開基と伝えられている真言宗智山派の寺院です。お堂に祀られた鉄仏「汗かき阿弥陀」は村に異変があると汗をかいて知らせると言われています。

④ 抜け道 船迫の人々が使っていた尾根道です。大光院の不動明王像の前から左の坂上に進み、墓地の外縁を回りこむように歩きます。約半周すると左折し電波塔に入る道があります。電波塔からは道標のリボンに沿って木々の中を進みます。

⑤ 森合(もりあい)横穴墓群 丘陵に100 基以上の横穴が掘られた大群集墳で、8世紀頃に作られた地方豪族の墳墓と考えられています。道路建設の際に丘陵の一部が削られて、今の形となっています。

⑥ 櫻井喜吉(さくらいききち)先生の頌徳碑櫻井先生は明治時代に活躍した槻木の医師です。船迫に日曜診療を開き無料で診察を行って人々を救ったことから、その徳を偲んで頌徳碑が建てられました。階段の上にはかつて阿弥陀堂がありました。

⑦ 船迫宿古代東山道が通る船迫は、古くは源頼朝が奥州藤原軍の首実検を行ったところと伝えられています。藩政時代の街道整備の際に宿駅とされました。「七曲がり半」と呼ばれるカギ型の曲がり角が複数置かれた構造が特徴になっています。広い屋敷や松の植木などから往時の姿が偲ばれます。

⑧ 薬師堂 集落を災いから守る御利益があると信じられ、親しみをこめて『お薬師さん』と呼ばれています。境内の名木『種あげサクラ』は今でも農事の目安となっています。この薬師堂は奥州街道沿いにあり、船迫宿の出入り口に位置していました。

⑨ 白石川 旧河川跡薬師堂から水田へ降りる道を進むと、船迫宿の方に大きく蛇行して流れていた昔の白石川の川筋をなぞり歩くあぜ道に出ます。川には時折カワセミの姿をみることができます。対岸にある土手の上の道は旧奥州街道です。

⑩ 船迫子どもセンター船迫分校があった所で、昭和55 年船迫小学校に統合され廃校となりました。現在は町の子育て支援拠点「船迫子どもセンター」となっています。

【参考資料】