船迫は北の羽山と南の白石川の間の狭隘の地域です。交通の要所として古くから発展し、江戸時代には奥州街道の起点、江戸日本橋から数えて63 番目の船迫宿として栄えました。白石川の堤防を歩くと、右に船迫が、左に船岡の地名を彷彿とさせる船底をかぶせたような船岡城址公園が迫り、正面には韮神山がせり出して白石川幅が狭められ、天然の要害であることが実感できます。太鼓山(立石緑地)に上ると、そのことが一層強く感じられます。
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① 船岡駅 |
② 白石川堤の道白石川の堤防を歩く道です。白石川上流には遠く蔵王連峰、対岸に見える桜並木と船岡城址公園の景観は、南岸の堤道とはまた異なった趣があります。 |
③ 韮神山山名は山上に黄韮が自生していたことに因むと伝えられています。句碑・石碑の横の階段を登ると、蔵王の景観が美しい「みやぎ蔵王三十六景」のポイントと、安置された三十三観音の石仏があります。 |
④ 立石緑地 立石緑地は別名「太鼓山」と呼ばれ、奥州藤原氏が敵の見張りの合図として、あるいは立石長者が時刻を知らせるために太鼓を置いたと伝えられています。山頂には立石長者末裔が建てたとされる石碑があります。 |
⑤ 散歩道 公園横にある木のトンネルから入ります。山腹を歩く雑木林の自然道の散策路です。途中で道が入り組む箇所がありますが迷ったと思った場合は下へ降りていけば町中の舗装路に出ることができます。 |
⑥ 不動堂身代わり不動として信仰される不動堂です。階段の横にある湧水は枯れたことがないと伝えられています。また、不動堂のそばではカヤの巨木に絡まる樹齢450年以上のフジが見られます。不動堂を出た正面の斜面に参道があります。 |
⑦ 船迫生涯学習センター |
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立ち寄りポイント
(1) 日本杉の一里塚跡江戸幕府が行った街道整備で一里ごとに目印の塚が置かれた、その跡地です。一里塚には目印となる木々が植えられたため、この場所には二本の杉があったのでしょう。付近には村田町との境を示す境界碑もあります。 |
(2) 里山ハイキングコース上野山の山頂にある太陽の村を拠点として周遊するハイキングコースが設定されています。三十三観音からさらに登っていくと上野山にある太陽の村に行くことができます。(約2.5km) |
(3) 兔田瓦窯跡(うさぎだかわらかまあと)村田町との町境にある山々には多数の遺跡があります。この兔田の瓦窯跡からは、陸奥国府の多賀城遺跡出土と酷似した文様の瓦が出土しています。調査の後に宅地として整備され標柱のみが残されています。 |
【参考資料】
- 柴田町史編さん委員会編 (1983 -1992)『柴田町史』柴田町
- 柴田町文化財保護委員会編 (2017) 『しばたの歴史ガイド』柴田町教育委員会
- 柴田町文化財保護委員会編 (1979) 『柴田町の文化財 第10 集- 城と館』柴田町教育委員会
- 柴田町教育委員会編 (1980)『之波太乃光』柴田町文化財保護委員会
- しばた100 選製作チーム編 (2016)『しばた100 選』柴田町
- 柴田かたりべの会編 (2003)『しばたの昔ばなし』
- エコミュージアム研究会せんなん (2017)『平成槻木ものがたり』
- 柴田町ホームページ (参照2019-3-1)
- 柴田町商工会(2017) SHIBATA-MACHI 旨-UMA! (参照2019-3-1)
- 柴田町観光物産協会ホームページ (参照2019-3-20>
- 日本フットパス協会(参照2019-3-10)
- NPO 法人みどりのゆびホームページ (参照2019-3-10)
- 美里フットパス協会 フットパスとは?(参照2019-3-10)